44年前のTMS(鉄道模型趣味誌)に学ぶこと

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 今回はメインブログで以前書いた事の再構成版です。
 しち面倒くさい話なのでご勘弁を。

 TMSの1968年の1月号から。
 これには当時の主筆とゲストを交えての鉄道模型の対談が掲載されていたのですがこの号のゲストは関沢新一氏。

 前にも書いた事がありますが美空ひばりの「柔」の作詞者であり「モスラ」や「海底軍艦」の脚本も書かれていた多才な方ですが、「ほろびゆく蒸気機関車」でかつてのSLブームの火付け役となり、わたし的には「自宅の中を周遊するレイアウトを作った人」として印象深い方です。

 その方の対談だけに期待して読み進めました。

 が、そこで語られている「鉄道ファンの気質」についての一言一言が胸にささりました。

「自分の思っていることだけが真の鉄道ファンだという排他性と思い込みの強さ」
「プロフェッショナル的なところだけがマニアやファンの最高峰だという、変なエリート意識」
「模型や鉄道の世界に入り込みすぎてファンとしての才能はあっても社会と断絶した奇形的(特異児童)存在」への危惧。

 これが書かれてから44年経つ(しかもその間にSLブームとブルトレブームを経ている)というのにマニアの実態がまるで変わっていない現状に驚かされると同時に、自分に引き合わせてみて身につまされる所も多かったです。

 その一方で
 「何をしている時でも常に心の中のカマの火を絶やさぬ(常に観察眼と思考を働かせ、センスを磨き続ける)」こと
 「自分の立ち位置が枝葉の先であったとしても(そこから)木全体をみていなければならない」

 など趣味人として学ぶべき所、かみしめるべき言葉も多く、詠み終わって一種の元気になれた爽快感のようなものも感じました。

 これは鉄道に限りませんが最近の趣味の専門誌では趣味人としての行き方、ポリシーについて個々の人生観と照らし合わせて語る性質の随筆や対談の記事が非常に少ないと感じます。テクニックや新製品情報の話も結構なのですがある意味骨太なホビーライフが語られる事があっても良いのではないでしょうか。

  最近になってやっとそう思えるようになってきたのですが、趣味と言う物はそれを続ける事で実生活とは違う見識を磨き続けるプロセスではないかと思います。

 関沢新一氏が言っていた「趣味が仕事になると悲劇」という言葉は実にそれを指しているのではないかと思えるのです。
 佐藤紅緑氏がある小説で言う所の「上品な娯楽は人間の魂の慰安になるが下等な娯楽は霊を腐食する黴菌である」という表現のその分かれ目もその娯楽の種類にあらずして娯楽を通して見識を磨けるかと言う一点を指しているのではないでしょうか。

 その意味で言うなら鉄道趣味と言うのはその見識を磨くべきフックが豊富な点で確かに趣味の王様と言い得るでしょう。
 ただ、その自覚を持って活動する人が(初心者・ベテラン問わず)どれだけいるでしょうか。

 鉄道の場合、自動車や船などの様に「実物を私有して楽しむ」と言う楽しみ方が出来ない以上、グッズの収集や模型の工作がフェチシズムに陥りやすい趣味と言えます。
 その点においても鉄道趣味全般が他の乗り物趣味に比べて不健全にならざるを得ない部分があると思います。
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 鉄道趣味ではフェティッシュ的な性格が強くそうした「マニア」を培養しやすいという事は言えると思います。
 ですがそれゆえにそれを自覚する事が重要であり、フェティシズムを克服する事で見識を磨き名実ともに「趣味の王様」を堪能できると思います。

 その為には各自が自分独自の引き出しをいっぱい作っておく事。
 鉄道や模型以外の世界をどれだけ知っているか、それを応用できるかが第一歩といえるのではないかと思えます。


 (なお、内容については一部私の解釈を交えたものです)



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